疲れの中で見える光
夜の電車。
窓の外には街の灯りが流れていく。
スマホの画面をぼんやり見ながら、今日もまた同じ一日だったなと思う。
誰かと話す気力もなく、ただ座っているだけ。
気づけば、呼吸まで浅くなっている。
最近、「疲れた」という言葉を口にすることが増えた。
でも本当の疲れは、体ではなく心の奥にある気がする。
がんばるのが当たり前。
弱音を吐けば迷惑をかける。
そう思いながら、気づかないうちに心が少しずつ乾いていく。
そんなとき、ふとした瞬間に光を感じることがある。
信号待ちで立ち止まったときに吹く夜風。
コンビニの前で笑い合う学生たちの声。
それだけのことなのに、心がほんの少しゆるむ。
「まだ大丈夫」と誰かに言われたような気がする。
もしかしたら、その光は外からではなく、
もともと私たちの中にもあるのかもしれない。
それは、頑張り続ける自分をそっと受けとめる優しさ。
誰かに見放されても、自分を見放さない静かな力。
私たちはそれを思い出すだけで、少し休めるのだと思う。
古い言葉の中に、こんな一節がある。
「すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11章28節)
この言葉は、叱る声ではなく、
「休んでいいよ」と言ってくれるように聞こえる。
光は、強いもののためではなく、
疲れた心を照らすためにあるのかもしれない。
今日もまた、電車の窓の外を見ながら思う。
遠くに見えるあの光は、
もしかしたら私を導くために灯っているのかもしれない。
少し深く息をして、目を閉じてみる。
ほんの少しでも、心に光が届きますように。